理化学研究所から情報が漏れていたよ~?20年以上前の話なんでもう話してもいいでしょ?
T氏は当時理化学研究所のK氏(多分)に脅しをかけて情報を得ていたと思われる。実際, 理研のK氏に会ったとき, ヤク〇にはとこぼしていたのを覚えている。Twitterにも書いてありますが, 普通の人が知るはずもない技術が当時の私の現場では行われていたんですよ。T氏は自慢げにその技術を語っていたのを憶えている。Twitterの投稿参照。また私が作り方の公式を見つけたリブエンドミルの類似工具に関して, 機械と工具という雑誌に東京のM氏が投稿していたのを憶えている。これはT氏がM氏に特許の相談に行ったときにM氏にとられたような話をしていたのを覚えている。機会と工具に連載していたM氏だから掲載されたのだろう。また, 三〇マテリアルもM氏には頭が上がらんのよとT氏が漏らしていた。T氏が理研から情報を入手していたことを私が直感で見破り, 東京のM氏に連絡した。その後どうなったかわからないが, 後に東京のM氏から年賀状をいただいた。
約20数年前特許絡みでこういったごたごたがあったので, この事実をここにtwitterの記事と同時に載せておきます。堅気でない人に立ち向かった堅気の人のお話です。
このエンドミルのつくり方はHpに掲載しています。こちらです。
当時は理化学研究所に足を運んでいろいろお話したことを憶えています。精密工学会に出向いてこの類似工具に関してのあやしい特許案件を叩きに行きました。新潟の大学教授に会いに行ったりもしました。とにかくよく動いたなって思う。体調を壊して徳島に帰ってきて, 塾の先生したけど, やらなきゃいけないと思って高知に単身赴任して機械工をやって未練を断ち切った。はっきり言って機械工には未練がないので, ここにその証として書いておきます。
ほんとたくさんの人にお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。