こんにちは。相城です。
今回は努力について書いてみたいと思います。自分への意味も込めていますのでご了承ください。
努力との向き合い方
努力って誰でもできるんですね。誰にでも平等に与えられたものだと思います。
努力は天才ですよ。
ただし、その努力量が人によって異なるのも事実だと思っています。
チョットすればできるようになったり、沢山やってもできない人もいるでしょう。
でも、ちょっとだけで成功した人は、すぐできた代わりに、失敗するという経験を失っています。沢山やって失敗してやがて成功した人は、失敗という経験と成功したという経験を得るはずです。失敗してばっかりの人はもしかして向いていないんじゃないか?そう自分を見つめなおす機会を得ているのだと思います。
ですから、失敗することで、失敗する人の気持ちを理解できたり、方向転換する機会を得たりするので、その辺は失敗をマイナスに捉えないようにしていただきたいです。
何でできないの?はパワハラ
たまにいるのですよ。なんでできないのっていう人。
そういった人に限って、自分が失敗した経験を棚に上げていたり、自分はよくできたって人が(個人の主観です)。
もし、保護者の方がそれを言ってしまうとパワハラになっちゃいませんか?先生が言っちゃうと、何で勉強しに来ているのか意味がないことになりませんか?私も駆け出しで経験の浅いころは、そういった類のことを言い放った経験があります。今思えば恥ずかし限りです。
すべての努力は報われる
王貞治氏の言葉に厳しい言葉があるのですが、紹介します。
「努力は必ず報われる、報われないとするなら、それは努力と呼べない。」
どうですか?報われなきゃ努力じゃないっていうんです。
私は、努力はすべて報われると思っています。ただ、それは生まれて死ぬまでの間で、努力は報われるという意味です。
正しい量、正しい方向にむかって努力しても報われないことがあります。でもその努力はそこから死ぬまでには、何かの役に立つはずです。その瞬間で報われなくても、長期で見ると報われますので、こんなことして何になるんだ。なんて思わないでください。きっと何かの形で報われます。
努力して報われると限らないけど、努力しないと報われませんから。そう肝に銘じて進んでいきましょう。
生きる上で無駄なことは何一つない
私はこの世の中で努力は何か問われたなら、存在している時点で努力している。何かの役に立っていると思います。極端かもしれませんが、存在自体にすでに何か意味を持って努力していると考えざるを得ません。
これから生きていく間で、無駄だと思うことがあるかもしれませんが、生きている間のことで無駄なことはないと思っておいた方がいいでしょう。私もそう言い聞かせているのですが、難しいですけどね(笑)。
それではまた。