教えるということへの葛藤と自己肯定感

こんにちは。相城です。

教えることへの葛藤

今回は教えるということを仕事としていて、葛藤することが今でもあります。
それについて、書いてみようと思います。

それは、教えることで、相手の思考を奪ってしまっていないかということです。また、時に我々が先回りして、転ばないように杖を差し出すことで、結果的に失敗を恐れてしまう子供になってしまわないかということです。

一度は自分で考えて

ですから、どんな問題でも一度は自分で考えさせるようにしています。一度は転んでください。私は口に出してそうは言いませんが、相手にそういうメッセージを送っています。転んでみてから修正しても何ら問題ありませんしね。
自分の思考のどこがいけないのか、どこまでがいいのか。生徒と一緒になって考えることで、好転するはずです。

まず暗記から始まる

私はどんな問題を解決するにも最低限の知識は必要で、その知識はほとんどが暗記だと思っています。あとはその知識をどう活かすかだと思っています。端的に言えば1+1=2ですよね。1の次は2ですよね。このように数学の基本は暗記から始まっているんです。ですから、ある程度は教え込んでもいいと思っています。その知識を暗記して活かすのは相手次第です。教えすぎはよくないと聞きますが、私は教えすぎても何ら問題ないと思っています。ただ、そこまでの時間的余裕は中々つくれませんし、きちんと伝わらないので、数樂のサイトに書面で残したんです。ただ、教えすぎてはいけないという考え方も一理あると思います。思考の訓練にはなりますからね。私は教え込んで、さらにその先を思考してもらいたいと思うんですよ。先人の知恵に肖り、その先をね。
このように自己肯定して、前途した葛藤を抑え込んでいます。

失敗しない人はいない

最後に子供たちに言いたいのは失敗しない人はいない。人間は失敗しながら成長する生き物です。勉強だけでなく、将来就く仕事でもそう、失敗や時には挫折を味わえる大人になっていただきたいです。そのためにも今やっている勉強で失敗をしてもやり直せるということを学んでほしいものです。

失敗を恐れるな。
失敗を恐れて何もしないより、何もしないことを恐れてください。

それでは。

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