こんにちは。相城です。
今回は周りを気にするな。周りと比べるな。というお話です。
他人に依存して生きる
さて、みなさん、兄弟がいたらお兄ちゃんみたいにとか、友達が〇〇してたら、僕も〇〇したいな。そう思ったことはございませんか?でもそれって、実際どうなんですかね?周りを見れば、〇〇さんっていう人は、きりがないぐらいにいるわけなんですね。あれも欲しい、これも欲しい、もっともっと欲しいってなるんですよ。この状態は自分というものが他人に左右されている状態で、過言かもしれませんが、他人に依存した生き方になってしまっています。
真似事は悪くないけど
でもね、真似事は悪くないんですよ。
悪くないけど一言いいます。あなたは他人のコピーになるんですか?
確かに、今現在のオリジナルってその多くは真似事から生まれるんですけど、コピーだけしているうちは余り思考していないことが多いんですね。単純に真似すればいいわけですから。そこから自分なりのオリジナリティを出すためには、やはり思考していかなければならない。自分ならどうするか。そういう思考した結果、それがすでに誰かがやった真似事でもそういった思考は無駄になりませんしね。それは、自分というものが他人に左右されていない状態ですからね。自分がこうした言っていう軸がしっかりできていますから。もちろん思考の結果、自分は真似を貫くという結果になってもいいんじゃないでしょうか?それが思考の結果ですから。
沢山の人を幸せにしよう
真似事をするときは、本当は自分はどうしたいのか。それを考えるといいですよ。また、真似することで、誰かを傷つけるなら、やめた方がいいし、沢山の人が幸せになるのであれば、やった方がいいでしょう。
私も数樂のサイトをつくるときに考えたのが、私の持っている知識を墓場に持って行ったところで、誰も喜ばないよね?それより生きているうちに、沢山の人に届けばいいよねって考えたからです。沢山の人を幸せにできているかは、存じませんが。
いつも自分ならどうするか思考する
繰り返しになりますが、真似事の先には、自分ならどうする。という思考が必要です。
本を読むとき、何かを見たり聞いたりしたときに、いつも自分ならどうするか思考する癖をつけておきましょう。そうすると必要なときに意見も言えますしね。
結果そうやって、自分がどうしたいかを思考していくことで、結果的に沢山の人が幸せになることなのか?実現するためにはどれぐらいの時間と費用が掛かるのかなどを検証していくといいでしょう。誰もやったことがないことなら、何で誰もやっていないのか?考えてみてもいいかもしれませんね?それではまた。