徳島新聞に掲載されたので記録として残しておきます。
5月27日付本欄「若い声」を読んだ。投稿者は内村航平氏の「報われない努力もある」という言葉に衝撃を受けたとあった。私も王貞治氏の言葉に衝撃を受けたことがあった。
言葉は「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるとするなら、それはまだ努力と呼べない」というものだった。考えた末に、私なりの答えがある。努力は適切な量や方法を行ったところで、目標が達成できるとは限らないということ。それと無駄な努力は一つもないということ。そう思うようになったのは子どもたちのクラブ活動を見ていてである。
みんな一生懸命やっている。しかし、優勝は1人、1団体だけだ。では努力をやめるのかというとそうではない。なぜやめないのか。やめたら試合に勝つ可能性が絶たれるとか、みんなに迷惑をかけるというのもあるだろうが、努力は生きていく上で糧になるからだと信じている。
内村氏や王氏の言うように、目標に対して報われない努力があったとしても、その努力は長い人生を歩んでいく上できっと何かしらの道しるべになると思う。そういう意味で私も努力は必ず報われると考えている。
努力、経験を重ねることで、少しでも遠くが見えるようになるのが人間の成長ではないだろうか。